Story:ストーリー

下垣真希の想いを綴るストーリー

2017年9月8日掲載:WinBE様のインタビュー記事を引用させていただきました。
引用元:http://wollab.jp/archives/1232


★ドイツで必死にがんばった日々は今の礎になっています。

愛知県立芸術大を卒業後、冷戦下のドイツに24歳で音楽を学ぶために渡りました。しかし、留学生活が一年も終わる頃喉を壊し、話すことすらできなくなり、一旦日本に戻りました。その話せない苦しい二ヶ月半の間に、どれだけ歌が自分にとって大切かに気づき、心から歌いたいと思いました。人は失いかけた時に何が大切か気づくんだと思います。

そんな状態の私に、母は「もう大学生ではないのだから、支援はしません。ドイツに戻って歌を続けたいなら、自分の力でやりなさい。」と厳しく突き放したのです。私は歌えるかどうかもわからない状態でしたが、歌いたいという一心でドイツに戻ることを決意しました。

その後は食べるためにアルバイトの日々で、大変な思いをしましたが、様々な方々に支えていただきました。ご縁もあり、ドイチェ・ヴェレというラジオ局で日本語放送のディスクジョッキーも5年半させていただきながら、ケルン国立音楽大学での一般の勉強と、音楽の勉強を死に物狂いでしましたね。そして、ドイツ国家声楽教授資格を取得し、大学卒業。

今から振り返ると、家庭からの支援を一切せず、自分で可能性の扉を開く力を付けてくれた母には、とても感謝しています。その充実した7年半は、自分できちんと稼いで生きたという手応えを感じています。

Q:キャリアのターニングポイントはいつですか?

1990年、まだバブルを引きずっている日本に帰ってきました。東西ドイツが統一した年です。私はバブルの時代を日本で過ごしませんでしたから、浮かれている日本を海外から違和感を感じながら見ていました。逆にその頃のドイツは、まだ東西に分断され、国民が皆政治のことを考えている時でした。私はその中でもまれましたから、自分の意見をきちんと主張すべきという習慣が身についたと感謝しています。おかげで、その頃のどこかフワフワした日本にあって、思ったことを口にする私を煙たいと思う人もいたようですね(笑)。

日本での活動は、クラシックの楽しさを広めるために、海外のアーティストと中部地方の音楽家を組み合わせたコンサートを企画をしたり、海外のアーティストの通訳をしたりなどを経て、20年前、歌の道を与えてくれた父の死をきっかけに自分の歌一本でやっていこうと決意しました。

そして、2000年ドイツ・ハノーバー万博閉幕式でアジア代表として独唱する機会に恵まれます。このことをきっかけに、仕事の依頼がグンと増えました。しかし私にとって大きかったのは、この万博で日本の歌を歌うことになり、改めて日本の四季を言葉にこめた歌の素晴らしさを実感したことです。これが唱歌など、日本の歌を中心にしたコンサート活動につながっています。

Q:周りの人の協力は?

ドイツでピアノやドイツ語の家庭教師をしながら、なんとか音楽の勉強を続けることができたのは、現地で出会った人のおかげです。そして、日本で私のコンサートに何年も通ってくださっている方々、支えてくださる方、ご紹介からつなげていただく仕事も多く、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。信念を持ってがんばっていれば、どこかで見ている人は必ずいます。誰と出会うかで人生は変わるなと実感していますね。

私が今、生涯を掛けて続けていこうと思っているのが、「平和のリサイタル」です。音楽家が一生涯の間に歌いたい歌に出会うのは難しいと言われていて、「あなたは幸運よね。歌いたいものに出会って」と言っていただけるのは、私が日本の歌という私が歌うべきだと思えるものに出会ったからです。

中でも「長崎の鐘」の原作者、永井隆博士の歌に出会ったのも運命的です。愛する妻を原爆で亡くし、自分も幼い二人の子供を残して死にゆく運命の中で、人を許し、平和な世界をと訴え続けた祈りの長崎の象徴。その先生の家に、私の叔父が医学生として下宿していたご縁で、先生が亡くなる前に病床で認めた「平和を」という書を見て大きくなりました。

叔父は被爆しながら奇跡的に長崎から島根まで戻ったのですが、その叔父を看取った叔母が、「長崎の鐘」を収録した私のCDを手にして初めて語ってくれた、17歳の叔父の壮絶な最期。戦後45年以上たって語られた叔父の苦しみと無念を聞いた時の衝撃は忘れません。平和と豊かさを当たり前のように享受してきた生き方を変えなくてはと突き動かされました。そうしたご縁もあり、永井先生の平和への祈りに満ちた「長崎の鐘」を歌いつがなくてはと思っています。

先の8月5日には名古屋にて「下垣真希 平和のリサイタル2017」を行わせていただきました。それらは全て周りの方々が紡いでくれた縁のおかげなのです。

★個を大切にし、自分の意見を言えることが、
これからを生き抜くのに必要です。

Q:日本の若者がリーダーになるには?

若い頃に苦労をすべきです。その頃の苦労は身につきますから。もっと言いますと、親は、子どもに手を差し伸べすぎて、将来の可能性をつぶしてしまわないようにしないといけません。

ドイツの家庭では、例えば物を取って欲しい時に、「○○をください。お願いします」、取ってくれたら「ありがとうございます」と、3歳の子どもが言うまで徹底的にしつけをします。「私たちは、この子をきちんと人間にして世の中に送り出す義務がある」と大人たちが皆例外なく言うのです。それは日本の子供たちにも必要なことだと思います。

私は日本に戻ってきてから、大同工業大学、そして今は名城大学、同大学院にてドイツ語を教える機会に恵まれています。そこで、学生に接する時に「私たちは人間に産まれたんじゃないよ。人間になるために産まれたんだよ」と伝えるようにしています。

同じ敗戦国でも、戦後全く違った歩みをしたドイツと日本。私が住んでいた頃の東西に分断されていたドイツは、統一するまでまだ戦争が終わっていないという感覚を皆が感じていました。なぜ戦争になったのか、皆が考えていたし、議論しながら戦争を降り返っていました。反対に日本は振り返りが足りないまま走ってきてしまった。戦争は二度としてはいけません。ですから、なぜそういう状況になってしまったのか振り返り、考えることは大切なんです。ドイツと日本、両方経験した私だからこそ、大切なことを伝えるのが自分の使命だと思って、ドイツ語を教えながら学生に接しています。

日本人は、意見が違う人と議論ができない。違う人を排除しようとして、なるべく角が立たないように曖昧にやり過ごすことを良しとしてきてしまいました。これから厳しい時代に入るであろう日本を乗り越えるにはこのままでは厳しい。自ら考える力が必要になると思っています。

ドイツ語は、自分の思っていることを表明した後、なぜならと理由を説明する言葉です。つまり、ドイツ語を学ぶためにも、まずは自国語できちんと語れる人にならなくてはいけないのです。ですから、学生たちには、自分が何が正しいと思うかを自ら判断し、意見が言えるようになってほしいと思い、命の大切さを考え、自分は何をすべきかを考えさせるような授業を行っています。

12年前にアメリカンファミリー生命保険(AFLAC)日本支社設立者である大竹美喜氏が、これからの日本を担える高校生を育てるためには学校教育だけでは足りないということで始めた「きらめき未来塾(認定NPO法人)」に誘われて、講師として携わり、三年前から塾長をさせていただいています。

全国から選抜された数十人の高校生と毎年数日間合宿をして、学校では普段接することのない様々な分野のエキスパートに授業をしてもらったり、グループディスカッションなどを重ね、生き方、自分の考えや可能性に真剣に向き合う塾を開催しています。(今年は80人が参加して仙台市にて8/6~8/9開催 テーマ「いのち・生きる~そして君はどうする」
今回は東日本大震災の被災地・仙台で開催することもあって、いのちについて考えてもらうプログラムになっています。

一つの価値観、数値を追うような学歴社会、良い大学に入って良い企業に入って過ごすという一本道しかないという価値観を日本社会は良いとしてきましたが、これからの厳しいグローバル時代を乗り越えていく若者は、それでは対応できません。
個を大切にし、多様な意見を取り入れながら、自分にはこれだと思う道を自信を持って進んでいってほしいです。

私ができることがある限り、人を育てるということには、この先ずっと関わっていきたいと思っています。


主な出来事

■ 2019年
◎マレーシア政府公認機関「AEEF」より、日本人歌手として初めて Asia Golden Star Award 2019 文化貢献賞 を受賞。
◎ベルリンの壁崩壊30周年コンサートを東京で開催。
◎下呂市立中原小学校創立50周年記念コンサートを開催。(10月)
◎平和のリサイタルを名古屋で開催。(8月)
◎英語の自叙伝をAmazonで発売。全米やドイツなどでベストセラーとなる。

■ 2018年
◎京都ユネスコ協会70周年記念で平和のコンサートを開催。(3月)
◎東京(5月)、名古屋(6月)、沖縄(7月)でコンサートを開催。
◎三重県松阪市にて、ミャンマー国内避難民支援チャリティーコンサートを開催。(9月)
◎全国平和首長会議冒頭で平和のコンサートを開催。(11月)
◎大阪のフェニックスホールでリサイタルを開催。(11月)

■ 2017年
◎東日本大震災被災者支援コンサートを3月11日に名古屋で開催。
◎岐阜県白川町民文化祭でソロコンサートを開催。
◎平和のリサイタルを名古屋で開催。(8月)
◎ヒロセ国際奨学財団主催でアジアからの留学生に日本の歌のコンサートを聞いてもらう。
◎大阪のフェニックスホールでリサイタルを開催。(10月)

■ 2016年
◎全国総合健診医学会と日本腎臓学会学術総会でコンサートを開催。
◎愛知県指導保育士連絡協議会で愛知県の保育士に唱歌や童謡の魅力を伝える。
◎熊本地震の被災者支援コンサートを名古屋で開催。(9月)

■ 2015年
◎平和のコンサートを、広島原爆の日(8月6日)に名古屋で開催。
◎25周年記念リサイタルを10月に名古屋のしらかわホール、11月に東京のサントリーホールで開催。

■ 2014年
◎平和のリサイタル2014を長崎原爆の日に名古屋で開催。
◎奥出雲まちなかコンサートでソロコンサートを開催。

■ 2013年
◎名古屋で3度のリサイタル(3月・6月・10月)、軽井沢(6月)、大阪(10月)、東京(11月)、沖縄(12月)でリサイタルを開催。
◎日進市主催のエコフェスタで環境トーク&コンサートを開催。(11月)

■ 2012年
◎中部フィルハーモニー交響楽団と共に、ニューイヤー・コンサート2012を開催。
◎名古屋で3度のリサイタル(3月・7月・10月)開催。8月には東京と大阪で平和のリサイタルを開催。
◎ドイツのミュンスター、ノイルッピンで東日本大震災支援の感謝のコンサートを開催。(3月)
◎ベルリンでコンサートを開催。
◎広島電鉄100周年、北海道イワクラグループ100周年記念にソロコンサートを開催。
◎三重県松阪市(9月)、島根県奥出雲町(11月)で日本の歌のコンサートを開催。
◎FM愛知で「下垣真希のSKOアワー」という番組がスタート。

■2011年
◎東日本大震災から8ヶ月目の11月11日、南三陸町復興支援のコンサートを開催。
◎ソプラノリサイタル(5月:名古屋・10月:東京)を開催。
◎CD『平和を』 をリリースし、記念コンサートを名古屋と大阪で開催。
◎シンガポールにてコンサートを開催。(2月)
◎東日本大震災被災地支援「なごや街ん中チャリティコンサート」に出演。
◎国際ロータリー財団2760地区大会コンサートに出演。

■ 2010年
◎「平和のコンサート」を名古屋で開催。
◎ドイツ統一20年に寄せて、ソプラノリサイタルを名古屋で開催。
◎COP10パートナーシップ事業コンサートに出演。
◎文部科学省主催「子どものための優れた舞台芸術体験事業」のコンサート開催。
◎島根県浜田市合併5周年記念式典にて「平和のコンサート」を開催。
◎日本の歌のコンサートを名古屋と大阪で開催。(5月)

■ 2009年
◎愛知県芸術文化選奨受賞コンサートに出演。(2月)
◎名古屋でテーマ別のソロリサイタルを開催。(2月・5月)
◎ソプラノリサイタルを、広島原爆の日(8月6日)に大阪・いずみホールにて開催。
◎8月に島根県佐田町で平和のコンサート、静岡県島田市で10月に日本の歌のトークコンサートを開催。
◎セントラル愛知交響楽団とともに、長崎原爆の日に、平和を祈るコンサートを開催。

■ 2008年
◎ポリオ撲滅のチャリティーコンサートに出演。(1月)
◎名古屋でテーマ別のソロリサイタルを開催(3月・6月)
◎愛知県扶桑町主催で日本の歌のコンサートを開催。(8月)
◎「長崎の鐘」をテーマにした平和のリサイタルを、8月に東京・名古屋などで公演。
◎帝京平成大学池袋キャンパス第1回大学祭でソロコンサートを開催。(11月)
◎「愛知県芸術文化選奨文化賞」を受賞。
◎永井隆博士生誕100年記念式典で長崎市平和会館と島根県雲南市にてコンサートを開催。
◎東京国立博物館にてトヨタ自動車主催のコンサートで和楽器とのコラボレーションに出演。
◎岐阜市にて、命の尊さをお話と歌で綴るセミナーを開催。

■ 2007年
◎CD「命の賛歌」リリース。
◎10回目となるコンサート「思い出の歌シリーズ」を開催。
◎「クラシックシリーズ」を立ち上げ、「シューベルト物語」を書き下ろし公演。
◎名古屋でテーマ別のソロリサイタルを開催。(4月・8月・10月)

■ 2006年
◎名古屋市でテーマ別のソロリサイタルを開催。(2月・5月・10月)
◎国土交通省主催の徳山ダムシンポジウムでトークコンサートを開催。(4月)
◎岐阜県中津川市で日本の歌のコンサートを昼・夜開催し2000名の市民が文化会館を訪れる。
◎碧南市主催で平和のコンサートを開催(8月)
◎環境省主催の3R推進全国大会でトークコンサートを開催(10月)
◎全国川サミットで記念コンサートを開催。
◎CD『思い出の歌 こころの歌』 をリリース。
◎「NAGOYAまちじゅうGA芸術祭」協賛コンサートを開催。

■ 2005年
◎愛・地球博パートナーシップ事業のコンサートを東京で開催。(3月)
◎愛・地球博でソロコンサートを開催(4月・9月)
◎愛知県と名古屋市主催の平和のための戦争資料展で平和のコンサートを開催。(7月)
◎東京・浜離宮朝日ホールで平和のリサイタルを開催。(8月)
◎愛知県安城市主催の市民大学で高木美保氏や森末慎二氏らとともに講師として講演する。
◎愛知県主催の「文化夜話」に池上彰氏や岩合光昭氏らとともに講師として講演。
◎花フェスタ 2005 ぎふオープニングイベントに出演。
◎「揖斐川水源地域ビジョン策定会議委員」 に就任。
◎津市市長より社会福祉協力援助者として表彰。
◎「なごや観光・コンベンション誘致企画委員」に就任。

■ 2004年
◎ドイツ・デュッセルドルフ市の 「日本デー」 で 「愛・地球博」 PRのためのトークコンサートを開催。
◎環境省や三重県共済の環境イベントでトークコンサートを開催。
◎愛・地球博パートナーシップ事業のコンサートを名古屋で開催。
◎名古屋市上下水道局主催の水の音楽界に名古屋フィルハーモニー交響楽団とコンサートを開催。
◎岐阜県輪之内町主催の環境イベントで講演会を開催。

■ 2003年
◎豊明市制30周年記念コンサートを名古屋フィルハーモニー交響楽団と共演。(2月/主催:東邦ガス)
◎陸上自衛隊音楽隊と共演。(3月)
◎CD『じゃぽねすく vol.2』 リリースし、記念コンサートを開催。(9月・11月)
◎農水省東海農政局主催の環境イベントでトークコンサートを開催。(9月)
◎ひとり歌芝居 『メモリアル・ソング』 を東京の紀尾井ホールにて公演。
◎島根県の 『永井隆平和記念賞』 に出演するなど、平和をテーマにしたコンサートを各地で公演。
◎東京・紀尾井ホールにてリサイタルを開催。
◎日本の歌を中心にした「思い出の歌シリーズ」のコンサート活動を開始。
◎「愛知の教育を考える懇談会委員」 に就任。

■ 2002年
◎長崎大学の原爆慰霊祭において『長崎の鐘』を献歌。
◎平和への祈りをこめた自作のひとり歌芝居 『メモリアル・ソング』 を名古屋市民芸術祭にて初演。
◎CD『メモリアル・ソング』 リリース。
◎大阪府岸和田市立浪切ホールオープニングにソロリサイタルを開催。(4月)
◎名古屋のしらかわホールにてリサイタルを開催。

■ 2001年
◎『第16回大衆文化賞』 を受賞。
◎CD『じゃぽねすく』 リリース。
◎愛知県警察主催の県民大会で県警音楽隊と共演。
◎名古屋のしらかわホールにてリサイタルを開催。

■ 2000年
◎アジアの代表としてドイツ・ハノーバー万博閉幕式で独唱。
◎「ドイツにおける日本週間」のコンサートツアーに参加。
◎選挙推進のつどいでトークコンサートを開催。
◎東海市制30周年(1月)、尾張旭市制30周年(7月)記念コンサートを名古屋フィルハーモニー交響楽団と共演。(主催:東邦ガス)
◎名古屋のしらかわホールにてリサイタルを開催。

■ 1999年
◎名古屋フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会で指揮者・小林研一郎氏とプレトーク。(7月)
◎国民文化祭ぎふ99において名古屋フィルハーモニー交響楽団とコンサートを開催。(10月)
◎浜離宮朝日ホールで初の東京リサイタル。(10月)

■ 1998年
◎『第20回都市文化奨励賞』 を受賞。
◎服部克久氏(作編曲家)と共に、都市文化会議20周年記念講演会に出演。

■ 1997年
◎岐阜県保険医協会主催の会でトークコンサートを開催。
◎瀬戸市教育委員会主催の女性のつどいにて講演とコンサートを開催する。(3月)

■ 1996年
◎中津川市民大学講座に、永 六輔氏(放送タレント)と共に講師として参加。
◎石川県羽咋市主催でミニコンサート付きの講演会。

■ 1995年
◎ワルシャワ・ソロイスツを招聘し2回のコンサートを企画し開催。ソリストをつとめる。
◎阪神淡路大震災支援コンサートを多くの音楽家に呼びかけ、名古屋のしらかわホールオープンの日に開催し、神戸YWCAに義援金を届ける。(4月)

■ 1994年
◎音楽グループ「クレッシェンド」を結成し、毎年、愛知県や岐阜県でコンサートを開催。
◎岐阜県八百津町主催のコンサートに関西室内管弦楽団と出演。

■ 1991年
◎ひとりオペラ「女はすてき」を公演。以来、熊本県や栃木県など全国で20数回演じる。

■ 1990年
◎ドイツ統一の日に名古屋港文化センター共催のコンサートでデビュー。